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元自衛官が語る自衛隊入隊〜訓練・内部事情まで

僕の地元は自衛隊の街って言われるくらい自衛官ばっかり。というのも、関西では結構メジャーな自衛隊の施設がある街。

広大な演習場、射撃場、陸上自衛隊、航空自衛隊。街を歩けば右も左も自衛官。

そんな環境にいたから自然な成り行きだったのかもしない。

ちなみに親父も航空自衛官だった。

今日のブログは、僕が体験した自衛隊時代の話しを振り返ってみた。

目次

自衛隊に入ったきっかけ

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

高校三年生の進路を決める時期。僕は音楽系の専門学校に行こうと考えていた。演奏とかではなく、裏方系のPAとか。ただ専門学校って結構高いよね。

僕は小学校の時に親父を亡くしていて、母親が一人で僕と姉の二人を育ててくれていた。姉は奨学金とかも利用して大学に行ったけど、僕は勉強✕で。

まぁ色々兼ね合いもあり、友達に相談していた記憶がある。

さすが自衛隊の街!勧誘が来たぞ!

そして就職説明会や、進学説明会のとき、企業に紛れて緑色の制服を来たおじさん達が混ざっていた。

親戚も地元の駐屯地に所属している自衛官だったので見慣れた制服だ。

一応パンフレットだけもらって、チラチラ見ていた程度。

ただ当時に気に入っていた映画が軍隊系の映画で、自分を映画の主人公に置き換えてみたんだよね。

そしたら一気に自衛隊に入りたくなって仲間を誘って4人で受験をすることにした。陸上なら2年契約だから、4年くらい頑張ろう!

4年在隊すれば退職金も当時で180万くらい出たのかな?

そんな軽いノリで自衛隊の試験を受け、無事に合格。

地元の駐屯地は山の上にあるんだけど、仲間とそこまで駆け足したり、事前準備をしながらワクワクしていた。

そして3月!いざ入隊!

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

前日に坊主頭に金髪だった髪の毛を黒染めし、荷物のチェックをして、友達が開いてくれた送別会で飲んでいた記憶が。

お昼前に地元の駅から出発するバスで、入隊先の駐屯地に行く予定だったんだけど、30分以上遅刻してしまい、みんなに猛烈な白い目を向けられた記憶がある。

入隊先の駐屯地は同じ県にある見慣れた場所。

子供の頃から自衛官に囲まれて育ったから、花火大会の時に行った記憶がある場所。

そーいえば僕の母親は自動車保険をやっているんだけど、お客さんがほとんど自衛官だったんだよね。昔は結構自由で、幼稚園の帰りにそのまま母親の仕事についていき、自衛隊の駐屯地に一緒に行っていた。

みんな優しくてアイスやお菓子などくれたなぁ。そーいえば戦車に載せてもらったこともあった。古き良き時代ってやつかな。

そしていざ駐屯地到着!

駐屯地に到着すると、今日から自分が3ヶ月お世話になる部屋に案内される。

陸上自衛隊はまず入隊後に3ヶ月の前期教育というものがあって、自衛隊の基礎や、陸上自衛隊としての基本を学ぶ期間。

もちろん匍匐前進、射撃訓練、基本教練、野営、行軍などがある。

同部屋のやつらは気の合うやつばっかで楽しかった。集団生活って億劫なとこもあれば良いとこもたくさんある。

辛い訓練や理不尽な事を我慢できたのも、仲間がいたからだ。あれが一人部屋とかだったら精神が崩壊しているだろう。

そー考えると同期や仲間の存在って大切だし、チームワークって素晴らしいって思う。もっと一般の企業もこういう所に力を入れれば良いのに。励みや支えがあるだけで人は頑張れる。

苦しい時、辛い時、横を見れば同期の仲間も一緒。

嬉しい時もそう。

共有できるっていうのは幸せんことなんだよな。

自衛隊では全てが連帯責任なんだけど、集団で行動することの大切さや責任をしっかりと教えてもらった。

今でもこれは僕の財産だ。

前期教育

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

さっき説明したけど、自衛隊には前期教育という三ヶ月の教育期間がある。

自衛隊の基礎を徹底的に叩き込まれるんだけど、在隊していた4年間で一番辛く、厳しい期間になる。到着日は仏だった班長や上官も、入隊式が終われば般若になる。甘えや妥協は一切許されない。

連帯責任なので、一人が何かミスをすれば全員で責任を取る。

俺の同部屋のやつが携帯の充電器をさしっぱで訓練に出てしまい、全員で腕立て伏せ。

訓練後の夜は少し自由時間があるんだけど、部屋で携帯の使用は禁止だったのに、電話しているのがバレて、隊舎前に集合させられ、もちろん全員で腕立て。拡声器を持った班長の怒号が響き渡る。

朝の起床後は1分以内にグラウンドに集合。もちろん訓練時の服装だから、作業服(当時はOD色の物)、半長靴というブーツに着替えて集合する。

1秒遅れる毎に腕立て10回。

そこから全員服装のチェックをされる。

作業服はビッチリアイロンのかかった状態。半長靴は鏡の用に研ぎ澄まされた光沢。1つの指摘毎にその場で腕立10回。

どんだけ完璧に仕上げても、

「目の輝き不十分!」とか、難癖つけられる(笑)

今となっては笑い話だけど、当時はど真剣に目の輝きを意識していた(笑)

まぁ色々あったけど、仲間の大切さを教えてもらったよ。

三ヶ月後のお別れの時はみんなグシャグシャの涙顔だ。

その後にあるのは後期教育

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

前期教育が終わると次は後期教育。前期教育期間中に自分が配属される職種が決まるんだけど、その職種の専門的な事を学ぶのが後期教育だった。

陸上自衛隊にもいっぱい職種があって、戦闘系の普通科(歩兵)、特科(大砲)、機甲科(戦車・偵察)とか、後方支援の輸送科、衛生科、武器科、通信科などなど。

ちなみに僕の地元にある部隊は戦車部隊なんだけど、僕の配属先は地元に決まった(笑)せっかく地元から離れて遠くに行きたかったのに。

その戦車部隊の後期教育は静岡県!当時は戦車部隊・偵察部隊の機甲科は全国から静岡に集結の合同!

※ 今は各地の戦車部隊で各々実施しているみたい。

この期間に戦車操縦に必要な大型特殊免許を取得する。

ちなみに教習車は戦車(笑)教習場は演習場。停止線もくそもあったもんじゃない。教官は指導員の免許を持った自衛官なので拳で操縦を教えられる。嫌でもうまくなる仕組みだ!

今でも免許証には大型特殊免許が存在し、カタピラ車限定の文字がある。

※ 教習車の戦車はカタピラなので双輪は乗れない。

静岡はいいとこだった。駐屯地は富士山の麓で、毎日富士を拝めたし。気候も穏やかで、街ものんびりしたいい雰囲気だった。近場の都市が沼津ってとこで、週末の外出は毎回沼津。

映画見たり(この当時にパール・ハーバーが上映中)熱海の海に泳ぎに行ったり、高速バスで日帰り東京行ったり。仲間との時間は本当に楽しかった。

だから辛い訓練も乗り越えられた。

そして教育も終了し、地元に戻ることになる。

自衛隊の毎日

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

前期・後期教育が終われば配属された部隊で勤務が始まる。戦車部隊なので、戦車の整備や戦車の訓練、射撃などがメイン。

部隊配属直後は一番下っ端だから、上官のお世話が必要。洗濯や、半長靴磨きなどをやらされるパターンもある。理不尽って思うかもしれないが、何の違和感も感じずやっていた。

そういう世界だし、それが仕事でもあり、何もできない未熟な自分だったからね。一般の会社ではこういうのはやっぱりパワハラになるんだろうな〜

ある日の僕の一日

  • 6:30 起床 → 6:35 飯
  • 8:00 課業開始 → 12:00 飯
  • 16:00 駆け足 → 17:00 課業終了
  • 17:30 飯 → 18:30 風呂
  • 19:00 自由 → 23:00 消灯

こんな流れ。結構楽って思うでしょ?

駐屯地での平常時の勤務は実は結構楽。

課業っていうのは訓練時間で、大抵は戦車の整備とか、演習場の整備とか、武器の整備。最初の頃は整備要領を覚えるのに苦労するし、余裕でスパナが飛んでくるけど慣れれば楽。新しい後輩が来たら雑用はしなくてよくなるしね。

下っ端の頃は休憩時に上官のコーヒーを入れて差し上げるんだけど、一人ひとり好みが違うから全員分をメモして作ったり。まずかったらその場で捨てられるし、使えないやつの烙印を押される(笑)だからコーヒーを入れるのも命がけ。

どんな事に対しても常に真剣で全力であれ!ってことだ。

自衛隊の仕事内容

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

上記にも書いた通り、自衛隊の仕事は課業とよばれ、それぞれの職種によって内容は変わってくる。

午前と、昼は職種に関する仕事をし、夕方になると体育の時間があり、駐屯地外へ駆け足に行く。

これが流れ。

それ以外も結構あって、

演習

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

自衛隊のメインの訓練がこの演習。実際の戦争を想定して訓練を行う事。これは演習場という自衛隊の広大な敷地で行う。僕の駐屯地は関西で一番でかい演習場に隣接していたので演習が多かった。

戦車の実弾射撃もすれば、空砲を使っての模擬実戦もする。

一番きついのは掩体っていう穴を掘る作業。戦車一両分の穴をスコップで掘るんだから笑える。もちろん服装は迷彩に、顔にはドーランメイク、肩には小銃、腰には弾倉、ガスマスクなどの完全装備。真夏の演習はこれがきつい。

まず敵地に侵入したり、行軍があるパターンも有る。夜中から朝まで完全装備で山道を40キロ歩いてからのスタートとか。夏場だと迷彩服が絞れるくらい汗がやばい。

フラフラで山道を歩き、あそこの木までとりあえず頑張ろう。とりあえずあそこの木までは歩いてみよう。それを永遠と繰り返すことで乗り切っていたなぁ。

大体二夜三日(二泊三日)、三夜四日などが多かったかな。

泥にまみれ、雨にうたれながら三日〜四日を山で過ごす。

錬成隊

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

自衛隊には格闘や、銃剣道、駆け足、射撃など。体力維持や実戦に必要な技能が求められる。

得意不得意がやっぱりあるので、自分の得意分野の錬成隊(部活みたいなもの)に参加する。

ただ部活と違うのは、課業後にやるんではなく、これがメインの訓練になること。朝から夕方までひたすら実施。

期間はバラバラだけど、一年中それをやってる部隊もあれば、3ヶ月とか期間が決まってるものもある。

ちなみに僕は銃剣道と格闘の練成隊だったから、一年のほとんどを格闘で過ごしていた。

だから戦車に乗ったり通常の訓練に参加するのは数ヶ月くらい。4年間格闘ばっかだった(笑)

ちなみにみんながみんな錬成隊に入るわけではなく、どの分野にも素質がない場合は通常の整備や戦車の訓練をする。

しかし、自衛隊ではそういった者は窓際族扱いになる。錬成隊に参加できないものは居心地の悪い生活を送っていた。

臨時勤務

在隊期間中、所属する部隊を離れ、臨時的に駐屯地の業務につくことがある。

例えば、

  • 1 糧食(隊員の飯作り)
  • 2 消防(駐屯地内の消防業務)
  • 3 燃料(駐屯地内の燃料スタンド員)
  • 4 木工(大工さん)
  • 5 給水(駐屯地内の水道屋さん)
  • 6 ボイラー(駐屯地内のボイラー屋さん)

など、色々あるんだけど。3ヶ月という期限付きで交代でまわってくる。

運がよければまわってこないが、僕は4年間で一回だけ木工に行った。

木工は駐屯地や演習場の大工屋さん。技官と呼ばれる防衛庁職員の下でお手伝いをする感じ。素晴らしく楽だった(笑)

自訓

これは大型免許取得の事。

自衛隊に入隊すれば様々な免許がただで取得できる。大型免許は必須なので、交代制で必ず回ってくる。どこに行くのも3トン半と呼ばれるトラックで、荷台に乗って移動する。

僕は入隊3年目で順番が来たのかな?これも約3ヶ月。素晴らしく楽。

災害派遣の事

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

俺が在隊中に誇りをかけて取り組めた仕事。それは新潟県中越地震での災害派遣だろうな。小隊長に懇願して行かせて頂いた。

現地では炊き出しがメインだったけど、地元の人との交流など、忘れられない。

現地はテレビなどで見るのとは違い、相当なものだった。被害にあい、家にも帰れない。みんな車で寝ている。もちろん新潟の11月はかなりの寒さだ。

精神もストレスも限界に近いはずなのに、みんな優しかった。

自分が役にたてたかわからないが、忘れられない経験、思い出になる。

自衛隊時代を振り返って

※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用

自衛隊時代は毎日が嫌で嫌で仕方なかった時期もある。自衛隊の四年って本当に長く感じたし。現役中はシャバの世界に憧れ、辞めたい病を患った時もあった。

けれども、自衛隊でもシャバでも自分次第。

シャバでも自分の檻に閉じこもった奴もいれば、自衛隊の閉ざされた空間でも、空飛ぶ鳥のように自由な男もいる。

自分次第だ。

今言えることは1つ。

どの組織に入っても、良いこともあれば悪いこともある。想像以上の事があれば、それ以下の事もある。しかし、自衛隊という環境下で様々な事を学んだことに変わりはない。

結論で言えば、自衛隊に入隊してよかったと胸を張って言える!

今でもあの4年は自分の心の支えになっている。

壁にぶち当たった時、迷走した時。初心に戻るのはその当時の自分。

アイキャッチ画像 ※ 出典元 陸上自衛隊HPより引用
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