人生何事も諦めないことが大切。今日ここで紹介するのは、世界を代表する日本人の冒険家「植村直己」。数々の偉業を成し遂げた誇り高き日本人です。そんな植村直己から学んだ「諦めない」ことの大切さをご紹介します。
植村直己のご紹介
出典 http://www2.nkansai.ne.jp/uemura/
1941年(昭和16年)2月12日〜1984年(昭和59年)2月13日頃
国民栄誉賞を受賞した世界的冒険家
1941年(昭和16年)2月12日、兵庫県城崎郡日高町上郷に生まれ、世界を代表する冒険家。日本人として初めてエベレストに登り、世界で初めて五大陸最高峰を極める。
国民栄誉賞、バラーインスポーツ賞をはじめ数々の賞を受賞。
出典 http://www2.nkansai.ne.jp/uemura/
出典 YouTube
植村直己との出会い
僕が植村直己と出会ったのは小学校4年生の時で、三宅裕司が司会をしていた『驚きももの木20世紀』というドキュメンタリー番組でした。
彼が達成した数々の冒険の歴史や、植村直己という人となり。60分の番組で僕の心は完全に植村直己に持って行かれ、一瞬にして彼の虜になってしまったのを今でも覚えています。
当時は既に植村直己は他界しており、自分の親から現役時代の植村直己の話を色々聞いたりしていました。
そして、自分のおこずかいで彼の文庫本『青春を山に賭けて』を購入し、手垢がつくほど読み倒し、そしてますます魅力に引き込まれていきます。
植村直己の魅力とは!?
大学に入学するまでは体力もないもやしっ子だったと自伝で述べています。兵庫県の田舎町で過ごし、高校を卒業して大学入学の為に上京。
ひょんな事から登山サークルに入り、それがその後の彼の人生を大きく変えていくことに。
今の時代、毛嫌いされる事が多くなった『努力』や『忍耐』という言葉。僕は彼の本を読み、それを学んで、その大切さを認識しました。
大学で登山の魅力に取りつかれた彼は、世界の山に登ってみたいという夢に出会います。
今と違い、海外に行くことがとてつもなく特別だった時代。たった一人でアメリカに渡り、現地の農場で働きながら英語を勉強し、登山のお金を貯め、自分の夢・目標に向かってひたすら前向きに突き進んで行く姿。
もちろん英語など全くできない状態で。住むとこも頼れる人もなく、たった30,000円を手に握りしめアメリカに行くなんて、無茶苦茶と言えば無茶苦茶ですね(笑)
でも、植村直己の魅力とは『行動力』。新しいことに挑戦しようとする時、新しい環境に出会う時、人は自然に躊躇という壁にぶち当たってしまいます。僕自身も、この『勇気』という恐ろしさに幾度となく打ち負かされた経験があります。
英語ができないフランス語が出来ないなどと言っていたら、一生外国など行けないのだ。男は、一度は体を張って冒険をやるべきだ。
そうした精神が彼の偉業を成し遂げる原動力だったと思います。
日本人初のエベレスト登頂
気が狂いそうな単調さに耐えぬき、弱音を吐きたがる自分に打ち克つ以外にない。進むこと、ひたすら前へ進むこと。
譲れないもの、それは紛れもなく自分自身…その精神力が物事を達成する。
このエベレスト登山にはちょっとしたエピソードがあって、日本人初のエベレスト登頂はもうひとりの日本人『松浦輝夫』氏と一緒でした。
植村直己は先輩の松浦氏に登頂の第一歩を譲る。素敵なエピソードですね。
北極圏・グリーンランド犬ぞり単独行
エベレスト登頂の後、フランスでアルバイトをしながら世界5大陸の最高峰に単独登山で登頂。
冒険の場所をグリーンランドや北極点に向け、その準備としてグリーンランドのシオラパルクという村で現地のイヌイットから生活の術や犬ぞり等の訓練を受けます。
出典 http://natgeo.nikkeibp.co.jp
そして、
・北極店まで犬ぞりで単独到達。
・グリーンランド犬ぞり縦断。
・北極圏犬ぞり単独行12,000キロ
上記を成し遂げます。
これらはその後、植村直己の夢である『南極大陸』への冒険の布石として語られています。
ミネソタ アウトドアスクール
そしていざ!南極大陸の夢が叶う一歩手前でその夢は打ち砕かれてしまいます。
当時、イギリスとアルゼンチンがフォークランド紛争という戦争中。南極大陸の冒険に協力してくれるアルゼンチン側がこの戦争を理由に協力を取りやめてしまったんです。
どうなるかわからない紛争状態。その間に植村直己はアメリカのミネソタにあるアウトドアスクールで勉強も兼ねて子供達と触れ合っています。
その時に言った言葉も素敵なので紹介します。
「君たちに僕の考えを話そう。
僕らが子供のときに、目に映る世界は新鮮で、すべてが新しかった。
やりたいことは何でもできた。そうだ。
医者になりたいと思えば医者になれたし、
登山家になりたいと思えば登山家にもなれた。
船乗りにだってなれた。何にでもなれることができるんだ。
ところが年をとってくると疲れてくる。
人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう。
世界の美しさを見ようとしなくなってしまう。
大部分の人が夢を失っていくんだよ。僕はいつまでも子供の心を失わずに、この世を生きようとしてきた。
不思議なもの、すべての美しいものを見るために。
子供の純粋な魂を持ち続けることが大切なんだ。
いいかい、君たちはやろうと思えばなんでもできるんだ。
僕とわかれた後も、そのことを思い出してほしい 」
出典 http://www.obs-japan.org/ob15s/essay_u/
アメリカに在米中、一度登頂を果たした北米大陸最高峰の『マッキンリー』、その山に再度登頂をトライ。
今回は厳冬期の単独登頂。達成すれば人類初。
頂上に残された日の丸
植村直己は、マッキンリー厳冬期の単独登頂を最後に帰らぬ人となってしまいます。
明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村の装備が遺品として発見されるに留まった。やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。現在に至るまで遺体は発見されていないため、最後に消息が確認された1984年2月13日が植村の命日となった。43歳没。
出典 ウィキペディア
遺体は今現在も発見されず。
天候の悪化もあって捜索は難航したみたいですが、第二次捜索隊が頂上に残された日の丸を発見。それは夢に生き、夢に散った男が残したもの。
諦めないことの大切さ
僕は植村直己という男から数々の事を学びました。その中でも僕の人生を大きく変えた言葉。
あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。
出典 http://www.meigennavi.net/kw/u/uemura-naomi.htm
人間生きていれば色んな壁にぶち当たります。一歩踏み出す勇気、行動力、僕は植村直己からそれらを学びました。
挑戦すること。今の自分に酔いしれず、満足せず、いつでもストイックに自分の信念を貫く姿。
そして諦めないこと。これこそが植村直己の数々の偉業の結果であり、僕達も見習うべき最高の信念だと思います。
本当の自分は今ココにしかいない
最後に、僕が植村直己という人間に魅了されるきっかけになった本。
何もない所からスタートし、失敗の中で経験値を上げ、自分の目標に喰らいついていく姿。言葉もわからず、頼れる人もなく、お金もない。何事にも自力で立ち向かうけど、人々への感謝を忘れない謙虚さ。
自分の信念を貫いて生きていく男の物語は、僕に強烈なインスピレーションを与えてくれました。
最近良く耳にする、自分探し(現実逃避)。そんなお粗末とはかけ離れたリアルな自分への挑戦。本当の自分は今ここにしかいない。